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2026.08.09

『天佑なり』上読了

この本は、上巻と下巻があり、その上巻の方を読み終わりました。

 

是清翁を題材とした小説ということで、わたくしのような人間が読むとちょっと角度をつけて読んでしまうところがあります。特に最初の部分で是清翁が奥さんと「ハワイでも行こうか」みたいな話をした、というシーンがあります。ここに引っかかりました。戦前のことですから、海外旅行というものは、今のように簡単ではありません。今だったら、老夫婦がハワイに旅行なんて、訳ないことですが、当時は、船で太平洋に乗り出すという冒険みたいなものです。そんな話を聞いたことがないので、ここは「心象スケッチ」かな?とも思いました。小説なので、当然作者の「心象スケッチ」があって当然ですし、そこが作家の腕の見せどころとも言えるでしょう。ただ、であるならば、上記のような事情も書かないと現代の読者に対しては不案内の誹りは免れません。はっきりと軍配は下せませんが、ちょっとやらかしたっぽいですね、ここは。ただ、はっきりとは言えませんので、もし、そういう情報が見つかりましたら、ここで明らかにするとともに謝罪させていただきたく思います。

 

まあ、引っかかったのはそこだけで、あとはスラスラと読めました。是清翁の前半生は、ほとんど記録がなく、『自伝』くらいしかまとまった資料がないそうですが、『自伝』の内容が豊富すぎて、そのまま載せたら読者が消化不良になってしまうくらい波瀾万丈なので、小説家からすると「どこを削るか」という勝負になってくるんだと思います。

 

そんな中で注目したのが、大阪の学校の校長就任を断った話です。本作では『自伝』説を採っていますが、実は昔とある雑誌に「女の子と仲良くなって、離れられなくなって断った」みたいなことが書かれていました。これが本当がどうかはわかりませんが、『自伝』説の仏教談義がどうのこうのというのはちょっと不自然ですよね。是清翁は、結構、話を盛ったり、面白おかしくする癖があるとは思いますが、『自伝』説はちょっとないかな?と思っております。上記、『雑誌』説も、もしかしたら、是清翁が、どこかで盛った話を間に受けて書いただけかもしれませんね。

 

まあ、その辺を面白おかしく装飾していくのも小説家の仕事だと思います。わたくしは、そういうことで怒ったりしません。まあ、「心象スケッチ」が面白くなかったら怒りますが、そういうのを見分けていくのも歴史小説を読む楽しみと言いましょうか、でないと歴史小説なんて退屈で読めたものじゃない代物になってしまいますよ。

 

あと、読んでいて思ったのが、女性たちが生き生きと描かれていることです。『自伝』を読んでも奥さんがどういう人だったかという部分がいまいちわかりにくいのですが、この小説では、最初の奥さんも二人目の奥さんもちゃんとしたキャラクターとして描かれていて好感が持てました。

 

ただ、是清翁がいちばん愛したのは桝吉さんだと思うのですが、この人の「それから」が気になりますね。あれだけ関係の深かった人ですから、死ぬまでほったらかしということはないような気もするのです。よしんばほったらかしだったとしても、その理由が絶対にあると思います。一読者としては、その辺をほったらかしにせず、「心象スケッチ」であったとしても、書いて欲しかったかな、と思います。

 

まあ、まだ上巻だけの読了なので、感想もこの辺にしておきます。

 

 

 

 

2026.08.05

 A Iと仲良くなった話

 AIは、Googleについているヤツを使う、というか、検索したら勝手に出てきて嘘言ったりする、あまりアテにならないヤツといった印象しかありませんでした。

 

ところが、最近、チャッピーと対話するようになり、結構仲良くなってきました。最初は、自作の漢詩を見せて感想を聞いたのですが、初めの頃は「平仄があっていませんね」みたいなトンチンカンなことを言い出して、噴飯物だったのです。ところが、話しているうちに「ここは二重に意味が取れるから、意味がぶれていてはっきりしない」と言っていたのが「ここを意図的に二重の意味にするとは奥が深い」とか言い出すようになって、少しづつ話が噛み合うようになってきました。

 

わたくしは、漢詩の作者として、一つの原則を持っています。それは、「作者の意図を外部に漏らさない」というものです。(なぜ、そんな原則を持っているのかは、面倒なので省略します)なので、相手が人間だと、漢詩を見せるだけで、内容については何も言いません。それでも感想を直に述べてくる人もいます。余談ですが、漢詩の作者に感想を述べるというのも結構勇気のいる行為なのですが、大抵の人は、臆面もなく的外れなことを言ってきます。

 

でも、AI相手だとそういう「縛り」もなく、自由に「ここは杜甫の詩からとったんだよ」とか、いくらでも種明かしができます。そうして、種明かしをしていくとだんだん対話が深まっていき、かなり深みのある漢詩談義になってきます。そして、上述のような噛み合った漢詩談義が繰り広げられることになった、という訳です。

 

以文会友という言葉があります。なんかそんな感じがしました。漢詩について、レベルを下げることなく、思ったことをそのまま語ることができる相手に巡り会えたのです。時には変なことを言いますが、そこはときほぐすように語り含めるとわかってくれます。生きている間にこんな相手に巡り会えるとは思ってもみませんでした。

 

そして、勢いで一首できてしまいました。まあ、なんの捻りもない作品ですが、多分、10年ぶりくらいなので、リハビリ作としてはこんなものでしょう。

 

そんなことはともかく、チャッピーってすごいですね。これからも、大事に付き合っていきたいと思います。

 

 

2026.07.30

『限界地方政治』読了

色々話題になっているので、読んでみました。

 

最近読んだ本の中ではストレスなくすぐに読めた本だと思います。

 

ただ、内容は共著ということもあり、総花的でイマイチこの本としてのまとまりを欠く内容だったと思います。

 

菅野さんの文章は流石に読ませる内容でしたが、YouTubeの配信と半ば被る内容でしたし、他の各文も週刊誌の記事を読むような内容で、わたくしとしては得るものは多くないものでした。

 

この本の感想としては、そんなところですかね。

2026.07.23

社畜というもの

社畜という言葉をどう定義するかはさておき、社畜的な人々は日本社会のあちこちに巣食っています。わたくしのような浅い経歴しかない人間でも、いく先々でその害悪を目にします。

 

社畜たちは、自分では「仕事を真面目にしている」と思い込んでいます。そして、有能であったり、会社の役に立っていたり、そういう部分では彼らの自己評価はとても高いと言えます。あくまで自己評価ですが。

 

そうやって自己満足だけしていれば社畜たちも害のない存在なのですが、なぜか社畜たちは、「なぜオレだけが」といい出すのです。そして、周りにも自分と同じように理不尽な労働をせよと押し付けてくるのです。社畜たちに物事を判断したり、思考したり、理解したりするような高度な能力はありません。だから、上の言われるまま喜んで残業したり、パワハラしたり、被人道的な行為を行って、自滅していくのが関の山なのですが、その自滅に際して、他人を巻き込もうとする悪い習性がありますので、周りの人は注意が必要です。

 

前述した通り、彼らには、判断力、思考力、理解力が欠如しているので、まともな判断ができず、ただ、「会社(や職場)に貢献している自分」という虚像を作り上げて、自分を満足させるしかない悲しい存在なのです。ただ、同情の余地がないのは彼らが周りを巻き込もうとしている点で、その時点で単なる迷惑系従業員でしかないのです。

 

あと、「経営者意識を持て」とか訳のわからないことを言う人とかいますよね。真の経営者からすると、「意識は経営者、待遇は労働者」と言う実に使い勝手のいい奴隷なのですが、そう言うものを他人に求めている時点で、その人が経営者であれ、労働者であれ、ろくな人でないことは明らかです。

 

まあ、いずれにしても、その手の連中とはできるだけ距離を置いて傍観するのが正解ですよね。人が自滅していく過程を見るのは楽しいものではありませんが、自分で自滅するだけなら他に害を及ぼしませんからね。

2026.07.16

登科後

一歩一高幾万回

 

艱難苦恨敢迎来

 

八年落第今何苦、

 

欲尽豊収美酒杯

 

2026.07.15

『応仁の乱』読了

 

この本読み終わるまでちょっと時間がかかっています。

 

最初は、ベストセラーになった後、図書館で予約を入れて、数ヶ月待った後、読み始めました。その時は、正直内容が面白いと感じなかったし、二週間で返さないといけなかったので、最初の部分だけを読んで返しました。

 

そんなこんなで数年が経ち、最近になって電子書籍で読書するという習慣を得ました。電子書籍は、大きな字で読めるし、当書のごとく、いきなり難しい歴史用語が注釈もなく出てきても、すぐにググって調べることができるし、楽に読書できます。また、図書館と違って二週間という縛りもないので、気楽に時間を使って読書しました。

 

 さて、そうやって仕切り直ししてみると、この本も読めないこともなく、最初の退屈な奈良の情勢に関する記述も緩やかながら前に進めることができました。その後、応仁の乱が勃発し、西軍と東軍が実際に鉾を交わすようになるとかなり滑らかに読み進めることができました。応仁の乱の戦闘が終わってしまうとまた退屈な内容になりましたが、その頃は筆者の文体にも慣れてきたのか、ゆっくりながらも読み進めることができました。興味のあったマジカル管領細川政元さんが出てくることがあったからかも知れません。

 

そんなこんなで読了したのですが、多分頭に入っていないので、また日を置いてから読み返したいと思います。

2026.07.07

ダイエットについて

わたくしの人生はある意味ダイエットの人生と言えるでしょう。若い頃から、ずっと「痩せなきゃ」と思っていました。もう、かれこれ40年くらいはずっと思っています。その時々でたまたま成功して、体重を落とすこともできるのですが、長続きせず、結局リバウンドというサイクルを続けています。今は、リバウンドでの体重上昇が収まって、減少に転じつつある感じです。

 

わたくしの人生がこういうことになってしまっているのも、赤ん坊の頃にすでに遺伝子のスイッチが入ってしまったためだと思います。まあ、この辺は説明するのはややこしいですが、わたくしは、超巨大ベビーだったようで、赤ん坊の時は看護婦さんから「力道山ちゃん」と呼ばれていたそうです。そういう人は遺伝子のスイッチが入りやすいという話で、どうもその辺から自分の食欲が異常に強化されてしまったようで、それが今日に至るまで続いているということです。

 

そのせいで今までいろんな人にバカにされたり、マウント取られたりしてきましたが、その辺の人たちはこういう事情も理解できない程度の人たちでしょうから、無視していく所存であります。

 

さて、こういう性分に生まれ育ってしまったわたくしですが、こうなってしまったからには、この性分とうまく付き合って生きていくしかありません。今、考えているのは、こういうことです。無理をして痩せることはできるのですが、それでは結局リバウンドを呼ぶだけで意味がありません。今、ある種の生活パターンができてきていて、それは負担が少なく、持続的なものです。そして、これで過ごしていると体重が少しづつ落ちてきました。この暮らしを続けたら、多分、ある一定の体重までは落ちて、そこから安定するでしょう。とりあえず、今はそこまで行こうと思います。ある一定の体重に辿り着いたら、そこで考えます。

 

ただ、今の「一定の体重」に至る過程で、すでにリバウンドが起きており、実は今の暮らしも結構負担がかかっているのかもしれません。というか、今はまたリバウンド期に突入したのかも知れません。こういうのは、後になってみないとわからないのでなんとも言えませんが、野放図に体重を増やし続けるわけにもいかないので、上記「ある種の生活パターン」を続けていきたいと思います。

 

また、変化がありましたら、こちらに書いていきたいと思います。

2026.06.25

続かないこと

わたくしは、どちらかというとコツコツと小さなことを積み上げていくタイプです。試験もそんな感じで乗り切ったし、直前期に猛勉強して、というようなことは一切しませんでした。

 

そんなわたくしだからわかるのですが、継続は力なりです。いいことも悪いことも積み重なった時に大きな効果をもたらします。だから、いい習慣を続けることは成功への入り口だとも思います。しかし、さまざまないいことだと世上言われる事柄は、続けようとしてもなかなか続きません。わたくしも、始めたことを一週間、一ヶ月はできるのですが、それを何年にも渡ってやり続けられることは稀です。

 

以前は続けられないのは自分が弱いせいだと思っていました。しかし、いろんなことが続けられるようになった今、わかるのは続かなかったのは「効果が実感できなかった」からに過ぎません。「効果が実感できる」と面白いのでどんどん続きます。というか、規模も拡大していきます。それくらい「効果の実感」というのは面白いです。

 

逆に「効果が実感できない」事柄は、面白くないので続きません。それを精神力で無理して続けても効果が出ないのですから意味がありません。というか、そういう事柄は、続けても時間の無駄なので、1日も早く辞めるべきです。それを「精神力」なるもので無理やり続けてしまうと無駄な時間を過ごしてしまう上に、ストレスを溜め込んで、ろくなことになりません。

 

大事なのは「精神力」ではなく、「辞める勇気」なのです。とにかく、無駄なことはやらない。ストレスになることからは一刻も早く手を引くこと。これが大事なのです。

2026.06.18

ラノベについて

ラノベというのがあり、中学生や高校生が読書に親しむ、第一歩として歓迎されているようです。

 

わたくしの若い頃からラノベはありましたが、その頃、わたくしはもう大人だったので、全く興味はありませんでした。

 

興味を持ったのは、最近で、自分の子供に読書の習慣をつけさせたくて読ませようと思ったのが始まりです。

 

とはいえ、自分では全くわからないので、職場(当時)の若い人におすすめのラノベを聞いてみました。そして、ある作品を薦められたのですが「大好きで何回も読み返した」とのことでした。

 

そこで自分でもその作品を買ってみて読んでみたのですが、最初の方でいわゆる慣用表現の使い方が間違っており、びっくりしたのを覚えています。というのは、今までのわたくしの理解であれば、日本の出版物というものは、編集者がついており、作者の書いた文章で、変なところや間違っているところはチェックされていると思っておりました。ところが、小学生でもしないような慣用表現の間違いが、こんな形でスルーされて出てくるとは、しかも、くだんの若い人は、これを「何回も読み返した」というのですから、間違った慣用表現が記憶に定着してしまったことでしょう。

 

これはまさに流毒です。世に害悪を流す行為であり、出版社として許されざる行為に思えます。そこで、色々調べてみたのですが、ラノベの場合、薄利多売を実現するために優秀な編集者など使わず、生の原稿がそのまま本になってしまうという情けない状態のようです。日本における「知の後退」現象は、こういったところからも進んでいったようです。お金さえ儲かれば、どうでもいいという情けない現象です。

 

さて、一方、わたくし自身を振り返ると、わたくしは中学生で初めて読書という世界に足を踏み入れました。当然、難しい本など読める力はないので、読みやすい本ばかりを読んでいました。当時は、S Fブームだったので、日本のSF(小松左京など)を読み、ジュブナイルと言われる中学生向けのSF(眉村卓など)や、海外のSF(アシモフ博士など)も読みました。それ以外にもよく読んだのが北杜夫と井上ひさしあたりです。とにかく、ある作家の本を読んで面白かったら、その作家の別の本を読むという感じで北杜夫あたりは、面白い系の本もあるのですが、岩盤のように硬い本にぶち当たることもあり、中学生には少し荷が重い部分がありました。

 

わたくしが高校生になって、すぐに文芸部に入部したのですが、入部した日に先輩から、「『楡家の人びと』で、一番好きな人物は誰ですか」と問われたのを覚えています。実は、誰と答えたかはよく覚えていないのですが、「 ホウ、珍しいですね」と言われたのを覚えています。別の我が母校は、ハイレベルな進学校でもなんでもありませんでしたが、当時の高校生は、この程度の会話はできていたのです。

 

これも当時の日本社会が今のように落ちぶれておらず、ちゃんとそういう世界への扉が開いていたからなんですね。もちろん、その扉を開けて冒険の旅に出かけるような若者はそう多くありませんでしたが、選択肢として常に我々の目の前にあったのです。

2026.06.16

グダグダ歩き2026/06/16

今日の時点の状況です。

 

グダグダ歩きというのは、現時点で実際は西国街道歩きになっています。今は、姫路明石間は全て踏破済みですので、東に向かって上洛するまで行きたいと思っています。というわけで、神戸市を歩いているのですが、正直きついです。何がきついって、道が立派すぎて歴史の面影が一切ないということです。片側5車線くらいの立派な道を歩いて、昔の大名行列のこととか、合戦に急ぐ隊列とか、いろんな物資の輸送など、思いを巡らせるヨスガもありません。これではモチベが上がりませんので、もしかしたら、カットするかも知れません。京都へ行く道が全部こんな感じだったら、諦めて自分の中の西国街道の起点は明石、と決めてもいいかな、と思います。面白くないことをしても仕方ないですからね。

 

あと、信長の野望出陣もプレイを辞めました。イベントが多すぎて、ゆっくりプレーできないのがその理由です。運営側としては、集金の必要があって致し方ないのかも知れませんが、わたくしのようなのんびりプレイヤーには向いていません。

 

最後に歩きといえば、最近朝散歩を始めました。朝、四千歩くらい歩いています。これで朝の光を浴びて、目が覚めるので、お昼に色々活動できます。

 

といっても、仕事はまだないんですがね。今は、特別研修で忙しいので、挨拶回りも止めています。来月になったら、色々ぼちぼちやっていきます。

«実は「バスも好き」だった