恵州編
みな さん、こんにちは。
今回は恵州編です。恵州は、広州から東に行ったところにある街です。ここは、
蘇東坡先生が流されていたところです。というわけで、遺跡もすべて蘇東坡先生
関連であります。
87,西湖
何とここにも西湖があります。蘇東坡先生関連遺跡を訪ね歩くといろんな「西
湖」(「東湖」と言うのもある(^^;)に出会うのですが、それでわかったのは中
国各地には結構こういう名前の場所があるようです。で、ここは公園になってお
り、以下の蘇東坡関連遺跡があります。
88,蘇東坡記念館
ここは、蘇東坡先生in恵州の事績を中心にいろいろと展示してある記念館です。
恵州で蘇東坡先生関連遺跡を巡りたい人はまずここに行きましょう。ここでは、
蘇東坡先生が架けた橋(現存しませんが、写真が展示されていました)のしょぼ
さに仰天しました。まあ、流罪の罪人が架けた橋だから、ちゃんとした公共事業
である杭州の蘇堤あたりとは比べものにならないのは仕方ないですが……。
89,朝雲墓
ここは、蘇東坡先生の第二夫人だった王朝雲さんのお墓です。元は杭州の人だ
ったのですが、何とこんなところで死ぬ羽目に……というわけで、「優秀な人物
と結婚したからと言って幸せになれるわけでもない」と言う教訓を……って、ま
あ、本人は結構幸せだったかも知れませんが……(^^;。あと、西湖には、蘇東坡
先生が、詩に書いた塔や西湖の隣には、「蘇東坡先生が書いた対聯がのこる道観」
などがありますが、名前を忘れたので省きます(^^;。
90,蘇公祠跡
ここは例によって名前は忘れましたが(^^;、市の東北にある「なんとか衛校」
という看護婦養成学校のような学校の中にあります。蘇東坡先生は、恵州にいた
間、いろいろ移住されているのですが、最後はこのあたりに住んでおられたご様
子です。で、何で「跡」かというと日本軍に破壊されたそうで……(^^;。
91,嘉祐寺
ここは、蘇東坡先生が恵州にいた間、一番長く住まれていたお寺さんです。と
ても小さなお寺さんで、何と小学校の中にあります。なぜ小学校の中にあるかと
いうと、もともと結構大きなお寺さんだったのが、文革の時代に破壊され、その
跡地に小学校を作られてしまったらしいのです。で、文革後、地域の信者の手に
よって小学校の中に小さいながらも復活を遂げたそうです。……と、蘇東坡先生
の歴史だけでなく、文革の歴史やこの地域の信者の方々の厚い信仰心なども感じ
ることが出来るスポットです。
次は、恵州よりもさらにマイナーで「日本人はまず行かないだろう」と言う地
方都市、雷州です。
ではでは、再見!!
02/11/22(金) 07:52 河村 豊(HQE01543@nifty.ne.jp)
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