宝鶏の思い出
宝鶏は、西安から電車で西に2~3時間行ったところにある街です。日本的感覚で言えば、随分と離れているのですが、中国的感覚からすると西安の近くにある街です。たぶん陝西省では、2番目か3番目くらいに大きな街なのですが、陝西省自体が遅れた地方なので、随分と田舎です。
わたくしが、この街に行ったのは、中国に来て一ヶ月くらいしてからで、目的は遺跡巡りでした。一番の目的は、宝鶏の北にある鳳翔という街にある蘇東坡先生関連遺跡でしたが、これについては「遺跡巡り」のカテゴリーをご覧ください。
そして、第二の目的は、渭水を見ることでした。渭水というのは、黄河の支流で宝鶏の町中を通っている川です。この渭水について、杜甫の『哀江頭』という詩に以下のようなくだりがあります。
清渭東流剣閣深 清渭は東流し、剣閣深し
去住彼此無消息 去住彼此 消息無し
これは、杜甫が安史の乱でぼろぼろになった都にいて、遙か蜀(四川省)の地に逃れた玄宗皇帝と離ればなれになって、今は皇帝たちもどうなったかわからない、と言うことを嘆いている一節です。この中に「清渭」という言葉が出てきますが、これは渭水のことであり、わたくしの持っていた漢詩の本には「渭水の流れは清く澄んでいたためこのような別名がある」というような注釈がされていました。これをわたくしの中国語の先生(中国人)に見せたところ、「渭水の水は濁って、汚い」という答えでした。先生は、西安出身なので、実際に身近に知っている……ということで、たぶん先生の方が正しいのでしょうが、日本にいた頃のわたくしは、海外旅行など出来る身分ではなく、この辺を確かめることができませんでした。
その後、中国語の学習にはまり、何もかもなげうって中国に留学したわたくしは、最初の旅行の地として宝鶏を選び、それを確かめようとしたわけです。で、実際に見た渭水は、確かに濁って、黄河と変わりない泥水でした。ここに来て、杜甫の詩のイメージが完全に崩れてしまったのですが、あとでいろいろと詳しい人に聞いて……というか、歴史MLの人たちの話によると、この「清渭」は、詩経あたりに出典があり、もともとそのころは渭水の水は、黄河より澄んでいて、黄河との合流地点で、渭水から来た水と黄河の水がはっきりと区別できるほどの差があった――ということで、この別名があったそうです。
果たして、杜甫の時代に渭水がすでに濁っていたのかどうかについては、浅学なわたくしの知るところではありません。しかし、渭水のみならず、杜甫が『哀江頭』で読んだ曲江も、皇帝が水遊びをした豪華な場所は、跡形もなく、ホコリだらけの汚い町並みがあるのみです。栄枯盛衰は世の習い……というか、そういう歴史的な場所がなくなっていくのは仕方がないのでしょうが、環境汚染という形で失われていくものは、無限の価値があり、また、一度失うと取り戻すことが実に難しいものです。
……で、何が言いたいかと言いますと、西安のあたりの環境汚染は本当にひどいんですよ。わたくしも、行った頃は3ヶ月くらい咳が止まりませんで、寝ることも困難でした。それでも、また、西安に帰りたいです。宝鶏にももう一度行ってみたいな。あのあたりは、わたくしの第二の故郷と言ってもいいくらいです。
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