現代中国と古典文学
昨日書いた『論語について』の中で吉川先生は、「現代中国の政治家も論語を暗唱できるくらい読んでいる」という旨の文章を書かれていますが、それは文革まっただ中の時代のお話。たぶん、今の政治家(党のお偉いさん)のみなさまで、全文暗唱まで出来る人はあまりいないんじゃないかと思います。
ただ、現代中国の生活にはいろんなところで古典文学が出てきます。たぶん、日本人よりも中国人の方が古典度(?)は高いと思います。
わたくしが、農村の小学校で見た小学二年生の国語の教科書に孟浩然の『春暁』が載っていました。超有名なこの詩は、日本でも漢文として一番はじめに勉強するテキストだと思いますが、これは、日本に置き換えると小学校二年生の頃から万葉集を勉強しているようなものです。
関係有りませんが、この詩は拗体で仄声韻という作詩技巧的には上級者向けの構造をしています。また、最後の「花落知多少」というのは、否定形を省略した初心者にはわかりにくい書き方だし、わたくし的にはなぜこの詩を最初に教えるのかが納得いきません。良い詩だとは思いますが……。
また、ちょっと前に流行った『情深深雨濛濛』という若者向けドラマの主題歌の一節には「多少楼台煙雨中」という杜牧の詩からの引用がありました。これは、当時人気のあったアイドルが歌っている歌で、たとえて言えば、モーニング娘。の歌に万葉集からの引用があるようなものです。しかも、若者たちはそれを教えられなくてもそこからの引用だとわかるのです(たぶん)。
この辺は教育制度の違いもあるのでしょうが、中国語の文語的伝統を色濃く残しているという特色が影響しているようにも思います。中国人を見ていると「日本人ももっと自国の古典文学に親しみを持てばいいのに」と思います。わたくしは、『源氏物語』は嫌いですが『平家』は好き。一番好きなのは、『南総里見八犬伝』で、七五調の迫力有る文章は、本の中に没頭してしまいそうになるくらい心に響きました。
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