中国人口政策(の失敗)
中国の人口政策というと「一人っ子政策(計画生育)」が有名ですが、実は、この一人っ子政策をやる前……というか、中華人民共和国の建国直後は「産めよ増やせよ」ばりの「人口資本説」というのがまかり通っていました。これは、簡単に申しますと、「人口は多ければ多いほど良い」というものですが、問題なのは、これを唱えたのが偉大領袖・毛主席だったということです。
つまり、これは、「それは、ちょっと違うんじゃあ……」と思っていても、誰も怖くて、反対できない「説」だったのですな。しかし、勇敢にもこれに反対した学者さんがいました。その人の名は、馬寅初と言います。北京大学学長だった馬寅初さんは、「新人口論」を発表し、対策を講じなければ、人口の増える速度は農業生産の増える速度を超え、将来とんでもないことになると警鐘を鳴らし、早期の人口抑制政策導入を提唱しました。
しかし、と言いますか、案の定、これは、偉大なる領袖の逆鱗に触れ、馬寅初さんは、批判され、失脚されます。その後、偉大なる領袖率いる中国共産党は「大躍進」という大失政をやらかし、2000万人とも5000万人とも言われる餓死者を出します。大躍進は、一年ちょっとで終わるのですが、その後、かの有名な文化大革命が起こり、中国は暗黒時代を迎えます。
その文革初期、大躍進の反動から、ベビーブームが起こり、人口が大量に増えるのですが、当時の偉大なる領袖さまは、何の手も打たず、増えるに任せていたようです。まあ、もしかしたら、文革にまつわる一連の騒ぎは、一種の人口対策だったのかも知れませんが、表だって人口抑制政策を語る人は1人もいませんでした。と言うか、語りそうな人は、みんな、批判されるか、左遷されるか、労働改造所にいれられるか……少なくとも、主席さまの目の届く範囲内から排除されました。
果たして、中国の人口は、順調に伸びます。しかし、生産力は、文革の偉大なる成功(当時日本の大新聞も大絶賛)もあって、あまり伸びませんでした。結果、いろんなところに問題が出てきたのですが、人口抑制策の必要性が説かれるのは、偉大なる赤い太陽の主席さまが逝去なされてからのことです。
1979年、馬寅初さんは、名誉回復されました。そして、中国共産党は、別の意味で悪名高い一人っ子政策を始めます。もし、これがなければ……というのは「歴史のIF」を語る行為だと思いますが、中国では、このことに対し、「錯批一人、誤増三億」(1人を間違って批判し、三億人の人口が間違って増えた)と言われています。
詳しくは、以下参考。
ハイハイQさんQさんデス-中国ビジネスのススメ
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