サラリーマンは蔡京たれ!!
蔡京というのは、北宋の政治家で、通常は悪人として嫌われている人物です。彼のどこが悪いかというと、結局北宋を滅ぼした責任者の1人と言うことでしょう。ちなみにわたくしも、嫌いです。(蘇東坡先生の政敵だしw)
この人、もともとは、王安石の新法の改革の時に出世し、首都・開封の長官になります。まあ、今で言えば東京都知事のようなもんでしょうか。ここまでの経過は、わたくしもよく知らないのですが、彼の後生と当時のパターンからして、かなり民衆から搾り取ってきた結果と思われます。
王安石の新法と言えば、今ではすばらしい政治改革のように言われていますが、実体は、当時地主階級が民衆から搾取していた状態を地主でなく直接政府が民衆から搾取できるように変えると言う改革であり、このころ出世した官僚のほとんどは酷吏タイプの人がほとんどでした。……というか、王安石の失敗は、部下に人を得ず、腹心と呼べる人たちは、すべて利にさとい小人ばっかりだったことで、最終的には身内からの内部告発で失脚しています。
それはともかく、そうやって出世した(だろう)蔡京は、当然ながら新法の旗手的存在だったわけです。ところが、新法を支持していた皇帝(神宗)が世を去り、皇太后が実権を握ると、新法の世も終わり、旧法……というか、もとの状態に戻ります。その時、宰相に抜擢されたのが司馬光(歴史家として超有名)で、彼は、王安石のやった改革をすべて元に戻します。
このとき、いち早く元に戻したのが蔡京で、この功で彼は、司馬光から大いにほめられます。もともと新法の方針の中で実績を上げて、出世した彼が、旧法の世になると、一気にバリバリの保守派の旗頭になったわけです。まあ、こんなことができるのは、能力があるからでしょうが、逆を返せば節操がないと言うことになると陳舜臣先生もどこかで述べられていたような気がします。
さて、時は下って、北宋のラストエンペラー徽宗が就任します。この徽宗、皇帝と言うよりは芸術家としての方が名が残っているくらい、芸術肌の皇帝です。というか、政治なんか全く興味なく、絵を描いたり、書を書いたり(この人が作った痩金体という字体かあるくらい)、庭石をコレクションしたりするのが大好きという困った皇帝です。で、自分で贅沢するために、新法の名を借りて、民衆から搾り取り、自分はのんびりと贅沢三昧だったわけですな。ここでは「新法の名を借りて」と書きましたが、新法には民衆から搾取するという側面があったから、このようなことができたことを注記しておきます。
さて、この徽宗の時代に出世したのが蔡京です。自らも書家として有名な蔡京は、芸術皇帝に取り入り、一方では民衆から搾取し、一方では皇帝に贅沢をすることをすすめ、宰相として国をめちゃくちゃにします。途中経過はいろいろあるのですが、結局、徽宗の代で北宋は滅ぼされてしまい、彼は、亡国の責任者として、罪を得て、失意のうちに死んでしまいます。
で、標題の言葉ですが、確かに蔡京は、悪人だし、その末路は惨めだけど、サラリーマンというのは、こういう風に上司の気に入るようにやらなければならないし、こういう風にやるヤツだけが出世するんだなあ……と思います。それは、どこの会社でも一緒でしょう。
最後に会社の幹部をやっているみなさまに一言。「絶対に蔡京のようなヤツを出世させたらあかん。会社がつぶれまっせ~」
参考リンク:
●蔡京 さいけい
●徽宗(宋) きそう
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YAHOOで中国大学を検索したらここにたどり着きました。
始めまして、アメリカに留学しているMeddetarと申します。
中国語に非常に興味があり、独学しています。
昨日中国人の方に有名な大学を聞いたところ彼は
北京大学と清華大学とおっしゃっていました。
中国で留学したいんですが今は一刻も早く
大学を卒業したいので、中国留学は封印中です。
ところでこの蔡京という人聞いたことがあります。
田中芳樹が書く岳飛伝で読んだことがあるような・・・。
蔡京のような人物にだけはなりたくないです。
ではまたお邪魔します。
Posted by: Medetar | 2005.11.20 01:32 PM
どうもコメントありがとうございました。
確かに清華と北大は、一位と二位ですが、語学留学だったらあまり関係ないと思います。語学留学だったら、語言、北京師範あたりでしょうか。
さて、蔡京ですが、彼の側からすると反論したくなるかも知れません。もし、彼が英明な皇帝の元で宰相をしていたら、おそらくは後生に美名を残す宰相になっていただろうと思います。
まあ、わたくしも蔡京のような人物にはなれないタイプですが……(笑)
Posted by: 河村 豊 | 2005.11.22 08:01 PM