捏造のNHK
ちょっと前にNHKの報道態度が問題になったことがありましたね。実は、わたくしにとっては、すでに90年代に捏造のNHKを印象づけられる番組がありました。
その番組の名は『故宮』と言います。NHKスペシャルでシリーズ放映され、当時はNHKが大金をかけてハイビジョンカメラ撮影という触れ込みの番組でした。このシリーズでわたくしが一番ショックを受けたのは北宋時代を取り扱った番組でした。その番組では、北宋を代表する文化人・蘇軾(わたくしの尊敬する蘇東坡先生)を中心に扱っており、わたくしとしては見る前は期待でワクテカだったのですが、見事に期待を裏切られました。
その番組のすごいのは、どう考えてもありえないような「新解釈」を持ち出してきたことです。ちなみに蘇東坡先生の一般的な解釈は、次のようなものです。
「蘇軾は閣僚として国政にたずさわっていたときも、流罪となって僻地に投げ出されたときも、おなじように人生を肯定した生き方をつらぬいているのです。蘇軾の年譜を一瞥し、それをそのときそのときの詩に重ね合わせると、しらずしらずのうちに眼がしらが熱くなります。これほど楽観的に、人生を肯定していきた人間、そしてそれを芸術に表現した人間が存在したことをするだけで、私たちは大きなはげましを受けるのです。」
以上は陳舜臣先生の『中国の歴史』第四巻からの引用ですが、わたくしが今まで見た中で一番簡潔で完璧な蘇東坡先生評だと思います。NHKのスタッフもコレを読んでおればあんな小学生の夏休みの宿題でもありえないような新解釈を披露することもなかったのに、と悔やまれます。
ちなみに「新解釈」とは、蘇東坡先生が流罪にあっていじけて暗く過ごしたというものです。しかも、その「新解釈」を強調するために蘇東坡先生の最も有名な書道作品『寒食帖』の中から「哭」という文字をクローズアップして強調してみせました。
この『寒食帖』は、蘇東坡先生の自作の詩を書いた書道作品です。この「哭」の字のあるところは、蘇東坡先生が哭いたという意味ではなく、竹林の七賢の一人である阮籍のように行き止まりの道で哭そうか? いや、アホらしいからやーめた、という意味の中での「哭」です。NHKの偉いプロデューサーにはこの部分が蘇東坡先生の悲しみを代表しているように見えたようですが、詩の意味からしてこの部分は単なる自虐ネタです。
新解釈を持ってくることは別に悪くありません。しかし、従来の定説を覆すなら、それなりの新しい発見が必要です。それが「哭」の字だっていうのですから、NHKも大金かけて酔狂なお笑い番組を作ったものですね。
実はこの話には後日談があります。わたくしは、2000年8月31日に中国にわたってより、生活の基盤をずっとこの国に置いております。で、たまたまこの故宮のDVDを見る機会を得ました。(元はCCTVの教育チャンネル放映用と思われます) DVDではこの捏造部分だけ、中国語の字幕が誤訳だらけになっており、せっかくのNHKの新解釈が全部覆ってしまって、従来の解釈と同じ内容になってしまっていました。今から思えば、あれは明らかに間違いなので翻訳の時にわざと意味を変えたんだと思います。蘇東坡先生は中国ではメジャー人物ですからね。いわば、外国のテレビ局が「織田信長は保守的な人物で敬虔な仏教信者だった」と言っているようなもんです。そんな番組を放映しようものなら抗議の電話鳴りっぱなしになるでしょうからね。
今から思えば、あれは、わたくしが唯一見た唯一の「正しい誤訳」でした。
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