幼名をつける文化が無い国
今日は、DQNネームについて書きます。わたくしは今までDQNネームと言うのは、変な刺青をしていたり、鎖をジャラジャラしながら歩いたり、静音効果がかなり落ちた車に乗っていたりするような人たちが、自分の子供にそういう名前をつけているんだと思っていました。ですので子供が小学校に上がってクラス名簿の名前を見た時はかなり不安になりました。わたくしの子供以外の名前はそのほとんどが非常に読みにくい名前だったからです。そこで変な心配をしてしまったのですが、子供の授業参観などで他の父兄のみなさんとお会いしてみて、分かったのは、皆さん、上品な方ばかりです。少なくとも見た目が1番下品なのはこのわたくしです。
で、最近ネットでDQNネームに関する文章を読んだのですが、「DQNネームは、まったく個性のない人がせめて自分の子供には個性ある名前をつけたいと言う意識からそういう名前をつけてしまう」と言うようなことが書いてありました。そう言われてみれば確かにそうです。少なくともわたくしの子供が通う学校では、「一番個性的な外見」なのはわたくしです。他の方はあまり個性的な方はいらっしゃらないように思えます。で、そういう方が個性的な読み方の名前を子供につけてしまうというのは確かにあるのかもしれません。ただ、変な重箱読みとか、やたら画数の多い漢字を使ったり、「世露死苦」みたいな雰囲気を醸し出したりしているのは、チョットアレだと思ってしまいますが。
最近、思うのですが、これは現代の日本に幼名をつける文化が無いことと関係があるのではないでしょうか。ちうごくでは、普通子供に幼名をつけます。ちうごく語で「小名」と言いますが、戸籍には乗らない呼び名で、本当に呼ぶ時にしか使わない名前です。会社や学校では本名を使い、「小名」はあまり使いません。一般には、可愛らしい名前が多く、同じ音を二回繰り返す「カンカン」「ランラン」と言った感じが多いです。
幼名であればチョットくらいDQNな名前でも被害は少ないと思います。それこそ「キラリン」でも「クルリン」でも、ペットに名前をつける感覚で十分です。万葉仮名みたいな変な漢字を当てなくても構いません。というか、そもそも純粋なる呼び名ですので、漢字を想定する必要すら無いのです。
そのように考えると、現代日本に幼名をつける文化がなくなってしまったことが、大きな原因の1つかと思います。いやむしろそれ以前に、日本の社会から「文化」と言う色彩が薄れて来ているからなのかもしれません。
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