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May 2016

2016.05.26

外国語学習のこと その2

今日も外国語の勉強について書いていきます。

前回、普通の人にとって外国語の習得には非常に長い時間と多くの量の学習が必要であると書きました。まるで苦しみばかりで楽しみが全くないと言うような救いのない話のようにも聞こえます。しかし、前回も書きましたが自分自身が成長していく喜びと言うものがあり、私が中国語をここまで頑張ってこられたのもその喜びがあったからです。ただ、その喜びも前に進めば進むほど小さくなっていきます。同じ1歩進むにしても短い距離を来た人と長い距離を来た人ではその1歩の大きさの感じ方が全く違ってきます。

ただし、語学にはもう一つの楽しみがあります。それは実際に生きている学問であるということです。つまり、一生懸命勉強したことがらは実際に道具として使うことができます。これが語学の醍醐味の1つといっても過言ではないでしょう。わたくしが本格的に中国語にはまる前は歴史や古典文学などあまり実際には役に立たないものばかり勉強してきましたが、中国を勉強して分かったことは、生きている学問の素晴らしさです。勉強してきたことを実際に使えるのだから、こんな楽しい事はありません。

ただし、道具としての外国語と言うものには常に不自由な感覚がつきまといます。まるでものをマジックハンドでものを取ろうとしているようなそういった不自由な感じです。この感じは外国語である限り常につきまとうものであると思います。少なくともわたくしは今までずっとその感覚から逃れることができなかったし、これからも逃れることはないでしょう。そういう感覚がないほど自由に使えることができれば、それは外国語ではなく母語です。つまり、外国を長時間使っていると、とても疲れます。わたくしはこれを「頭脳の肉体労働」と呼んでいました。

あと、気をつけていることは母語を使っている脳の部分と外国語を使っている脳の部分は違うと言うことです。例えば外国語を勉強していると「この日本語は外国語ではどういうのかな?」と言うようなことを思いがちです。しかしそのように日本語と外国語を結びつけるような形で勉強するのはあまり得策ではありません。私は学習するときにはできるだけそのようなことは考えずに中国語を中国語で聞き中国語で理解し中国語で話し中国語で書くと言う部分を鍛えることに主眼を置いていました。いちいち日本語に訳す癖をつけてしまうと、外国語を聞いている時も読んでいる時も非常に時間がかかってしまいます。特にヒアリングではネイティブスピーカーの話す速度についていくことができなくなります。逆に言うとヒアリングの教材はできるだけネイティブスピーカの話す速度と同じ速度のものを探して学習していました。初心者用にわざとゆっくりと話しているような教材は却って逆効果です。中国語を中国語で聞いて中国で理解する回路をまず作らねばなりません。

今日のところはこの辺にしておきます。また何か書くかもしれません。

2016.05.19

外国語を学習するということ

今日は外国語の勉強について書きます。

私の場合は、中国語の勉強と言うことになるのですが、外国語の勉強と言う意味ではある意味共通項というのがあると思います。

まず言えるのは、才能のあるなしというのは絶対にあります。才能のある人は、少し勉強しただけでもすごく上達が早いです。逆に才能のない人は、がんばってもがんばっても報われないという厳しい部分が明らかに存在します。

世間的には「努力するものは報われる」や「走った距離は裏切らない」などと言う名言が聞かれますが、それは残念ながら万人に通用するものではありません。才能のない人が、才能のある人と競い合おうとすれば、自然と倍あるいは4倍の努力が必要とされ、ときにはそれすらも無意味であったと言う結果に終わることも多々あるでしょう。

それでは、才能のない人は勉強する意味がないのかといいますと、わたくしはそうは思いません。わたくし自身も才能のある方だとは思っておりませんし、今まで何回も天狗の鼻を折られた経験を持っています。それでも一生懸命に頑張ってこられたのは、「努力して自分の力が伸びていくことを実感する」--これが非常に楽しいものだったからです。

さて、才能のある人はごく1部です。ほとんどの人は才能がありません。そういう人にとって、外国語を習得すると言う事は、非常に長い時間をかけて、非常に多くの量の学習をしなければならないと言うことになります。英語をはじめとして外国語をペラペラと喋っている人を見かける機会があると思います。もしかしたら「かっこいいなぁ」と思うかもしれません。また、わたくし自身もそういうふうに感じられてきていたのかも知れません。しかし、その背景について思いをいたす事は少ないのではないでしょうか。外国がペラペラになると言う事は、才能のない人にとっては、非常な努力を重ねてきたと言うことです。

さらに帰国子女について書きます。帰国子女は何かと特別な扱いを受けがちです。特に語学の学習については「あの人は帰国子女だから」と言われがちです。わたくしも留学生時代に帰国子女的な方と机を並べて勉強したことがあります。わたくしはその時にその方を特別扱いすることはありませんでした。同じ土俵に立っているライバルとして見ていました。そして、全然叶わない悔しさを味わいました。何故かと言うと、その人がどのような環境で暮らしたとしても母国語でない言葉をゼロから学び覚えたという過程には変わりはなく、それがまるで何の努力もなく手に入れたもののように思ってしまうのは他人の浅はかさでしかないからです。その人が外国語を習得したと言う事は、才能のあるなしと言う条件はあるにしろ、その裏に非常な努力の積み重ねがあった事は間違いのないことです。それは環境がどうのこうのという問題ではありません。結果としてその人が積み上げてきた努力をまるで無料で手に入れたかのように言う考え方にわたくしは絶対に賛同できません。

色々と書いてしまいました。まだまだこれ以外にも思う事はあります。機会を見つけてまた書きたいと思います。

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