「荒海式」と「スクール式」
外国語の習得にはいろいろなやり方があるのでしょうが、どのやり方にしても、とてつもない努力(仕事量)が必要になります。いつでも学習の結果は才能に努力を乗じたものです。
そのやり方の例として、「荒海式」と「スクール式」の2つの違いについて書きたいと思います。「荒海式」とは、外国語が全くわからない状態でいきなりネイティブ環境に掘り込まれるというやり方です。泳げない人を荒海に掘り込んで泳ぎを覚えさせるというあのやり方です。「スクール式」とは、ちゃんとした先生について文法や発音を基礎からみっちりやる方法です。スイミングスクールに通って泳ぎの基本的フォームから練習するイメージです。
往々にして「荒海式」は、誰でもできる、できて当たり前、オレでも同じ環境だったらできた、ように思われがちです。しかし、「荒海式」経験者は、それぞれ死ぬ想いをしてきているのです。無意識かもしれませんが、そこには必死の努力があったワケです。自分が留学時代にも帰国子女っぽい人もいました。正直、自分なんかじゃ逆立ちしてもう敵わないくらいの差がありました。だけど、上述のような負け惜しみは少しも思いませんでした。人に環境や才能の差があるのは当たり前で今さらそこを愚痴っても無意味だからです。しかも、相手は無意識ながらも死ぬ想いの努力をしてきているのです。
しかし、神さまは我々に逆転の道具を用意してくれました。初代貴乃花は、若嶋津に対して、「体の小さい者は大きい者の3倍努力してやっと同じ条件になれる」と言いました。環境や才能の欠如は、努力で縮めることができるのです。結局自分はその人との差を努力で埋めることはできませんでしたが、それは自分の努力が足りなかったからです。努力ですべてがなんとかなるのはマンガの世界で、現実には「縮める」くらいしかできないこともありますからね。
話がとりとめのない方向に進んでしまいました。この他にも「荒海式」と「スクール式」の長所短所など書きたかったのですが、今日はここまでにします。
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