『兵車行』について
最近、戦争のことなどもあり、杜甫の『兵車行』について考えてみました。
この詩は反戦詩です。反戦詩にもいろいろあって、現場の戦場の悲惨さを伝えるものもあります。しかし、この詩には悲惨な戦場の場面は出てきません。杜甫自身に従軍経験がないこともあり、悲惨さは主に杜甫自身が目撃した兵士を送り出す側の場面を描写することで表現されています。それでも充分貧しい人たちの塗炭の苦しみが伝わってきます。
そして面白いのが、最後のクライマックスです。「君不見」からはじまるこの部分ですが、よく考えてみると、杜甫自身も青海には行ったことがなく、見たこともない筈です。つまり、この部分は完全な「心象スケッチ」です。(幽霊が文句言ったり、泣いたりするところを見ること自体がアレなんですが)それを「君不見」と言っちゃうあたり、まぁこれは漢詩の慣用表現みたいなものというか、合いの手みたいなものなのですが、「誰も見たことないわ」とツッコミをいれたくなるのは自分だけでしょうか。
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