間違いを正すということ
わたくしは、幼い頃からものを書くのが大好きで、高校時代は文芸部に所属しておりました。その頃の話もいつか書きたいと思いますが、今日は別の話です。
さらに長じて、大人になると、今度はパソコン通信なるものにハマってしまい、そこで大量の文章を書くことになります。今から考えるとあの頃、大量の文章を書いたことが、後の仕事に生きたように思います。チャットで覚えたタイピングテクもあり、パソコンに向かって文書作成をすることに何の抵抗もなく、というか、寧ろ楽し
がりながら文書作成ができました。
パソコン通信時代の文章の内容は、所詮は素人の戯言だったのですが、とにかく数をこなすということが財産になったように思います。
さて、今回の本題はこれではございません。そのパソコン通信時代くらいから心掛けていたことです。それは、「間違った内容を発信しない」というものです。卑しくも、情報を発信する側に立つのであれば、間違ったことを世の中に流してはならない、と強く思っていました。
もちろん、100%は不可能です。できるだけ100%に近づけるということです。そのためには、読者の側からの指摘がとても重要でした。だから、読んだ人から、間違いの指摘を受けることは、自分では気づかない間違いを訂正し、100%に近づけるために必要なことだと思っていました。もちろん、自分でも間違えないように確かな資料にあたり、慎重に内容を考えて文章を書いていました。
また、他人が書いた文章についても、間違いを見つけたら、即座に指摘するようにしていました。それは、上述の理由で、自分もそうして欲しかったし、そうあるべきだと思っていたからです。ただ、これはやっているうちにそうではない人の方が多いということに気づいてやめました。
最後に言いたいのは、間違いをただすということは、ただそこに間違いがあって、それをなおしていこうというだけのことです。間違いを指摘した人が偉くて、指摘された人はダメとか、そういう意味合いはありません。あくまでそういうものです。わたくしの中では。
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