名訳の話
まあ、わたくしも外国語でメシを食っていた人間の端くれだったので、標題の件については興味があります。
わたくしが思うに「少年よ、大志を抱け」というのは名訳だと思います。原文は皆さんご存知かと思いますが、あの原文からこの訳が出てくるというのはまさに神業です。そもそも複数形なのに「少年」と言ってしまっていたり、BE動詞なのに「大志を抱け」とまで言ってしまうとか、かなり勇気がいる訳だと思います。
訳しているといろんなツッコミを想定してしまい、ついつい原文に則したものになってしまいがちです。例えば、原文が複数形だから「少年たち」としてしまったり、「抱け」なんて言葉は原文にはないとか、「大志」の部分も名詞ではなく、形容詞だとか、そういうツッコミを自分で入れてしまう、というか、本当にそういうツッコミをしてくる人がいるのです。
そういうツッコミに対処するのに一番いい方法は原文に則することです。「原文がこうなってますから」こう言えばそういう人たちは黙ります。
しかし、そうしてしまうと今度は不自然な日本語になってしまったり、話者の真意が伝わりにくくなるわけです。
だから、そういう諸々の問題をものともしない「度胸」が通訳者、翻訳者には求められるのです。
次にわたくしの専門分野であるちうごく語から一つ選んでみたいと思います。それは、「政権は銃口から生まれる」です。この訳ですが、すごくかっこいいですね。なんかハードボイルドな感じがします。これの原文らしきものを見たことがあるのですが、あまりかっこよくないというか、口語的というか、もともとこの言葉自体が「力こそ全て」みたいな野蛮な意味合いを含んでいますので、原文もどうしてもそういう感じになってしまいます。そう考えるとこの訳は原文を越えたと言えるかもしれません。しかし、それはあってはならないことでもあります。
いずれにせよ、これらの名訳にしても、残るのはクラーク博士など話者の名前で訳者の名前は残りません。話者が主役で訳者はあくまで縁の下の力持ち的存在なのです。それでも通訳、翻訳という仕事は面白いし、難しく、奥が深いです。
これからも通訳、翻訳で苦労した話とかこぼれ話など書いていきたいと思います。
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