50代のまとめ
わたくしも、すでに61歳になっておりますが、今更ながら、自分の50代のまとめを書きたいと思います。
50歳になった時、わたくしは中国におりました。よく覚えているのですが、親会社のすごく偉い方に「河村さんは何歳ですか?」という質問に「はっ、わたくしも天命を知る歳になりました」と答えました。その時、偉いさんは、ちょっと不機嫌になったようで、「まぁ、オレも50になった時、天命なんてさっぱりわからんかったけどな」と返されました。
その時は、一応大きな会社の管理職的立場で収入もまずまずだったのでよかったのですが、それから、没落の一途を辿り、今では社会の最底辺と言える立場にあります。
こうなってみて、身に沁みたのは子どもたちの劣等感です。わたくしも子どもの頃から貧乏人で、その負い目みたいなものがなかった訳ではありませんが、基本親の貧乏は子どものせいではなく、気持ちの上で全く影響のあるはずもない事柄であるはずです。昔は我々の社会にも、さくらももこさんの初期作品『うちは貧乏』みたいに貧乏を笑い飛ばす豪放磊落さがあったのですが、格差社会化が進んだからか、今では貧乏は「シャレにならない」レベルになっているのかも知れません。そもそも貧乏というものは、上述の通り、子どもの責任ではあり得ない事柄なので、平然としていれば良いことなので、子どもたちには、胸を張って生きていってほしいです。
そんな中、貧乏から脱すべく最初のうちは、就職活動を始めたのですが、うまくいきませんでした。何社か落とされて、パターンが見えてきたので、戦意を喪失しました。例えば、中国語人材を求めていて、当時のわたくしを雇わないなんて有り得ない選択です。知力100の諸葛亮が来ているのに断るみたいな話です。要は各社人事担当の皆様におかれましては、人を見る目が全くない、ということです。この話は、合格してからしたかったのですが、各社人事担当の皆様で、わたくしのように司法書士試験に挑戦して合格、または、総合落ちまで行ける人は何人いるのですか?と問いたいです。
この問題は、ひいては社会全体の性能の低さに繋がる問題だと思うのですが、目利きのあるなしというのは、人事担当者にとって死活問題の能力だと思うので、皆さん、もう少し頑張ってください。
そんなこんなで流れ流れて、今の社会の最底辺にたどり着いたのですが、ここでの話を詳しく語るとわたくしの進退問題に直結しかねないので、ここを出てから話したいと思います。
ちょっと歯切れの悪いまとめになってしまいましたが、また何かあったら書きます。
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