阪神春日野道駅の思い出
母がまだ若い頃、ボクの手を引いて、春日野道の親戚の家に行きました。あの頃は、我が家にも親戚付き合いという面倒くさいものがあり、わたくしも何ヶ月に一回くらい、どこかの親戚の家を訪問させられていました。今では、というか、わたくしの代になって、そういう面倒なことからは逃れることになったので、ウチの子供たちはそういう習慣を知りません。なので、彼らは自分の親戚にどういう人がいるかを知りません。母方の親戚であれば、付き合いがあるのでしょうが、何せ外国に住んでいるので、付き合いも自然と疎遠になります。そういう人付き合いが苦手なのは、わたくしの生来のもののようですが、直す気もありません。
それはともかく、春日野道です。当時、阪神電車の春日野道駅は、「日本一こわい駅」と言われていました。まず、ホームがめちゃくちゃ狭いです。地下にあって、薄暗く、しかも、常に強風が吹いていました。まだ、幼かったわたくしは、風に飛ばされるのではないかと不安に思って、ホーム中央にある手すりを力いっぱい握りしめていました。さらに恐怖の演出のためなのか、電車が近づくたびに大きな踏切の音が「カンカン」となります。あの音で恐怖は増幅され、頭の中が真っ白になります。
そんな中事件が起きました。
頭が真っ白になったわたくしは、間違って「梅田行き」の普通電車に飛び乗ってしまったのです。たぶん、ホームにいる恐怖から一刻も早く逃れたかったのだと思います。乗った瞬間、間違いに気づいてホームに戻ろうとしましたが、ドアは閉まってしまいました。そのとき、もう二度と母親に会えなくなることと大阪で一人で生きていくには乞食になるしかないことなどが連想され、頭の中にそれらの光景が走馬灯のように駆け巡りました。と同時におもいっきり泣き叫びました。すると、電車は動き出していたのですが、停止し、ドアが開きました。
あの時、なぜ電車が止まって、ドアが開いたのかはわかりません。これが1回目のわたくしが電車を止めた事例です。
今は春日野道駅も改修され、以前のような怖い駅でなくなっていますが、あの頃のホームの跡はまだ残っています。本当に恐ろしい経験でした。
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