議論の話
今回は議論について書きたいと思います。
ネットの有名人でとにかく口癖のように「論破」と言う人がいます。わたくしのイメージだけかもしれませんが、このお方はとにかく屁理屈でもなんでも相手を言いくるめれば「勝利」と思っているようです。まあ、ご本人さんよりそのシンパの皆様がそう言うのをみて拍手喝采を送っていると言うのが実情でしょうか。
さて、わたくしは議論というものは、とても大事なものだと思っています。そんな勝った負けたのゲーム感覚でやるものではないと思います。
そもそも世の中あまたある主張意見というものには、それぞれの根拠があり、何一つ完全に正しい、あるいは、完全に間違っている、と断言できない側面があります。ただ、さまざまな局面において、この場合はこの考え方の方が良いというような「より正しい意見」があるに過ぎません。
その意見同士を擦り合わせて「より正しい意見」を探求していくのが議論なのです。なので、そこに勝ち負けはありません。わたくしのイメージとしては、議論の結論が、「より正しい意見」だったときは、双方が利益を受け、そうでなかったときは、双方が不利益を受けるという関係にあります。だから、議論は真剣にやらなければならないのです。ゲーム感覚であってはなりません。
その前提となるのは、お互いがお互いの立場と意見を尊重することです。「論」には「論」で返し、人格攻撃やその他の「論」と関係のないことを持ち出すのはご法度です。
かつて、わたくしの子供が小学生だった頃、学校で担任の先生と子供の教育について話していたとき、双方の意見が対立し、ちょっとした議論になりかけました。その時、先生の様子が「必死だな、乙」みたいな感じだったので、こういう議論は時間の無駄だと判断し、わたくしは反論せず、矛を収めました。「主張」ではなく、「反論のための反論」や「ただの人格攻撃」をする人との議論ほど無意味なものはありませんからね。そういう人とはあまり喋らないようにしています。
ただ残念ながら、ちゃんとした議論ができる人はこの世になかなかいないというのが現実のようです。
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