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2025.03.22

群を作る生き物の話


最近、群を作る生き物について考えています。これはわたくしが高校生の頃考えていたものでその時は「お魚の群」という詩を書いたことを覚えています。所詮高校生が書いた詩なので、大した内容ではないのですが、「小さい弱い生き物が群で暮らしている。みんなは周りを見てそれに合わせることだけ考えて生きているけど、そんなんでいいんか?」みたいな内容のものです。


今また同じ内容について考えているというのは、わたくしがそういう環境にいることが大きいですね。


さて、上記群を作る生き物ですが、一見、彼らを捕食する側からすると、とても捕食しやすい状況だと言えます。自分のエサがバラバラに存在するのとまとまって存在するのでは、後者の方が圧倒的に見つけやすいし、捕食しやすいでしょう。しかし、これだけたくさんの生き物が群を作り、生き延びてきているということは、群を作るメリットがあるはずです。


そこでそのメリットを考えてみました。


そこで考えついたのは、ぼーっとした個体でも生き残る可能性が高くなる、ということです。群を作らず個別に生きているとぼーっとした個体は天敵に捕えられたりする確率が高くなるし、エサにありつける可能性も低くなります。しかし、群の中に入ればこれらの弊害を低減することができます。要は周りに合わせて動いていけば、敵にも気づきやすいし、エサにもありつけやすいということです。


人類は群を作る生き物です。だから、上記メリットを享受することができました。


しかし、周り合わせて動くことばかり考えていると楽ですが、楽な分だけ、バカになっていきます。それは、筋肉を使わなければ弱くなっていくのと同じで、自分で考えることをしなくなると思考力が落ちてくるのです。これは、わたくしが今の環境で実際に観察できていることですが、とても恐ろしいことです。


なので、周りに合わせて動く前にまず自分で考えることが大事です。それで失敗してもいいじゃないですか。次変えていけばいいのです。


とにかく、自分で考えてください。


2025.03.19

2025/03/13頑張れなくなった話


この前の日、ヴィッセル神戸がとても大事な試合に負けてしまいました。この試合は、大事であると同時に相手が今までの対戦でとても弱く感じたので、勝って当然と自分で思っていた相手でした。


そんな試合に負けたのです。当然、ショックが大きかったのですが、まさかここまで大きいとは、思いませんでした。


まず、次の日、仕事の日だったのですが、起き上がれませんでした。とにかく、何もやる気が出なかったです。ご飯も作りたくないし、ヒゲも剃りたくないし、勉強もしたくなかったです。仕事には行きましたが、とにかく、力が出なくて、「頑張る」ということができなかったです。


この時思ったのは、「頑張る」ためには、さまざまな条件が必要で、その一つが欠けても頑張ることができなくなってしまうということです。


逆に言うと頑張ることができるというのは、とてもありがたいことであり、とても大事にしていかなければならないのだと思いました。

2025.03.17

2025年2月23日朝の健康自転車生活


これは風邪を引く前の話ですね。



最近、朝の健康自転車生活は、コースを変えて、2号線を西明石から西新町に向けて走るコースにしています。2号線のこの部分は、自転車にとってとても走りやすい区間です。わたくしは、日の出前の早朝に走るのですが、明姫幹線だとこの時間帯は朝日が目に入ってしまう区間があるのですが、2号線は左右にビルが多いことなどもあり、朝日が目に入ることがありません。


この区間で一番スピードが出るのは、カワサキ前の下り坂から西新町にかけての区間です。この日、下り坂を下っていると、スピードが出過ぎて、空気の繭に包まれているような感覚になりました。ドラゴンボールで孫悟空とかが空を飛んでいる時に体の周りに発生するアレみたいなものです。この感じになると、スピード感を楽しむというよりは、空気抵抗に逆らうためにペダルを漕いでいるような感覚になります。あとでネットで調べたら、時速40キロを超えるとペダルを漕ぐ力の8割は空気抵抗に相殺されるそうです。


今はスピードメーターもつけずに走ってますので、その時スピードがどれくらい出ていたかはわかりません。しかし、こういう経験はしたことがないので、ある意味かつてないスピードに突入した恐れがあります。


若い頃は今より力がありましたが、怖かったので、時速60キロを超えるような速度で走ることはありませんでした。多分それ以上出ていたんだろうなと思います。

2025.03.12

2025年2月下旬風邪を引いた話


最初は、ウチの息子が風邪にかかりました。その後、長女にうつり、最後にわたくしのところにやってきました。


という経緯なのですが、この風邪が結構しつこく、わたくしのところでは、ヘタなインフルエンザより長引いています。この部分を書いてるのが、3月10日ですが、まだ咳や痰が残っており、前日の「朝の健康自転車生活」も中止せざるを得ませんでした。


上述したように、原因は長男ですが、それ以外にもムリをし過ぎて免疫力が低下したことがあるような気がします。


これから、いわゆる直前期に入ってきますが、休養を心掛けていかなければなりませんね。


ちなみに療養中は、Youtubeで昔の競馬の動画などを見ていました。当時のことを思い出しながら、結構楽しめました。

2025.03.06

2025年2月15日ホーム浦和戦観戦記


今年もホーム開幕戦をファンクラブのタダ券を使って見に行きました。


今回は息子と2人だけで行きましたので、スムーズに出発できて、余裕を持って現地に到着できました。というわけで、普段はあまり食べないスタグルを食べました。食べたのは「まぜそば」というものでした。個人的にはこんなものかなというくらいの感想でしたが、芝生の上でノンビリご飯を食べて、試合に臨むことができて良かったです。


さて、順調に会場入りし、一番盛り上がる選手紹介から神戸讃歌までの流れを経て、試合が始まりました。


開幕戦ということで相手の実力が未知数な部分があったのですが、浦和は強かったですね。特に柏から移籍してきたマテウスサヴィオ選手を止めるのが大変でした。後半に「あわや、失点か」というシーンもありましたが、VARに救われノーゴール判定でした。ウチも結構惜しいシーンがあったのですが、相手の堅守に阻まれ、無得点。相手の攻撃もウチの覚醒前川選手を中心とした守備陣を崩せず無得点。ということで、スコアレスドローとなりました。


試合が終わったら、次の予定があったので、ひさびさに聞く「you don’t have to worry anymore」の歌を聴きながら、そそくさとノエスタを後にしました。


次の予定というのが、カラオケであります。息子と一緒にジャンカラ兵庫店で3時間歌いました。DAMの機種の部屋だったので、『そして、イニエスタ』も歌えました。


延長の申し出も拒否されたので、カラオケを出て、帰路に着いたのですが、〆が欲しくなったので、家の近くの吉野家で〆ることにしました。


ここでなんとあのカービーコラボ企画の時、手に入れられなかったフィギュアの再配布をやっていることを知り、ワザと半熟卵などを多めに頼んで、4ポイントゲットしました。これで、フィギュアを2つ手に入れることができるのですが、ここで、息子と意見が分かれることになりました。わたくしは、吉野家コラボの特徴である牛丼を抱えた「お持ち帰り」が「ダッシュ」を推しましたが、息子は「吸い込み」と「おおあわて」を推しました。「吸い込み」はまだ理解できるのですが、「おおあわて」は絶対にないと思い、ちょっと論争になりましたが、最終的には、その場にいない長女(フィギュアの実質的保管者)に選択を委ねるという結論に達しました。ちなみに長女の選択は、「吸い込み」と「まんぷく」でわたくしも納得できる内容でした。


ごちゃごちゃと書いてしまいましたが、このフィギュア獲得がこの日の一番の収穫だったと思われます。


最後にサッカー観戦は試験までこれが最後です。これからは試験に向けて頑張っていきます。

2025.02.10

50代のまとめ



わたくしも、すでに61歳になっておりますが、今更ながら、自分の50代のまとめを書きたいと思います。


50歳になった時、わたくしは中国におりました。よく覚えているのですが、親会社のすごく偉い方に「河村さんは何歳ですか?」という質問に「はっ、わたくしも天命を知る歳になりました」と答えました。その時、偉いさんは、ちょっと不機嫌になったようで、「まぁ、オレも50になった時、天命なんてさっぱりわからんかったけどな」と返されました。


その時は、一応大きな会社の管理職的立場で収入もまずまずだったのでよかったのですが、それから、没落の一途を辿り、今では社会の最底辺と言える立場にあります。


こうなってみて、身に沁みたのは子どもたちの劣等感です。わたくしも子どもの頃から貧乏人で、その負い目みたいなものがなかった訳ではありませんが、基本親の貧乏は子どものせいではなく、気持ちの上で全く影響のあるはずもない事柄であるはずです。昔は我々の社会にも、さくらももこさんの初期作品『うちは貧乏』みたいに貧乏を笑い飛ばす豪放磊落さがあったのですが、格差社会化が進んだからか、今では貧乏は「シャレにならない」レベルになっているのかも知れません。そもそも貧乏というものは、上述の通り、子どもの責任ではあり得ない事柄なので、平然としていれば良いことなので、子どもたちには、胸を張って生きていってほしいです。


そんな中、貧乏から脱すべく最初のうちは、就職活動を始めたのですが、うまくいきませんでした。何社か落とされて、パターンが見えてきたので、戦意を喪失しました。例えば、中国語人材を求めていて、当時のわたくしを雇わないなんて有り得ない選択です。知力100の諸葛亮が来ているのに断るみたいな話です。要は各社人事担当の皆様におかれましては、人を見る目が全くない、ということです。この話は、合格してからしたかったのですが、各社人事担当の皆様で、わたくしのように司法書士試験に挑戦して合格、または、総合落ちまで行ける人は何人いるのですか?と問いたいです。


この問題は、ひいては社会全体の性能の低さに繋がる問題だと思うのですが、目利きのあるなしというのは、人事担当者にとって死活問題の能力だと思うので、皆さん、もう少し頑張ってください。


そんなこんなで流れ流れて、今の社会の最底辺にたどり着いたのですが、ここでの話を詳しく語るとわたくしの進退問題に直結しかねないので、ここを出てから話したいと思います。


ちょっと歯切れの悪いまとめになってしまいましたが、また何かあったら書きます。

2025.02.04

阪神春日野道駅の思い出



母がまだ若い頃、ボクの手を引いて、春日野道の親戚の家に行きました。あの頃は、我が家にも親戚付き合いという面倒くさいものがあり、わたくしも何ヶ月に一回くらい、どこかの親戚の家を訪問させられていました。今では、というか、わたくしの代になって、そういう面倒なことからは逃れることになったので、ウチの子供たちはそういう習慣を知りません。なので、彼らは自分の親戚にどういう人がいるかを知りません。母方の親戚であれば、付き合いがあるのでしょうが、何せ外国に住んでいるので、付き合いも自然と疎遠になります。そういう人付き合いが苦手なのは、わたくしの生来のもののようですが、直す気もありません。


それはともかく、春日野道です。当時、阪神電車の春日野道駅は、「日本一こわい駅」と言われていました。まず、ホームがめちゃくちゃ狭いです。地下にあって、薄暗く、しかも、常に強風が吹いていました。まだ、幼かったわたくしは、風に飛ばされるのではないかと不安に思って、ホーム中央にある手すりを力いっぱい握りしめていました。さらに恐怖の演出のためなのか、電車が近づくたびに大きな踏切の音が「カンカン」となります。あの音で恐怖は増幅され、頭の中が真っ白になります。


そんな中事件が起きました。


頭が真っ白になったわたくしは、間違って「梅田行き」の普通電車に飛び乗ってしまったのです。たぶん、ホームにいる恐怖から一刻も早く逃れたかったのだと思います。乗った瞬間、間違いに気づいてホームに戻ろうとしましたが、ドアは閉まってしまいました。そのとき、もう二度と母親に会えなくなることと大阪で一人で生きていくには乞食になるしかないことなどが連想され、頭の中にそれらの光景が走馬灯のように駆け巡りました。と同時におもいっきり泣き叫びました。すると、電車は動き出していたのですが、停止し、ドアが開きました。


あの時、なぜ電車が止まって、ドアが開いたのかはわかりません。これが1回目のわたくしが電車を止めた事例です。


今は春日野道駅も改修され、以前のような怖い駅でなくなっていますが、あの頃のホームの跡はまだ残っています。本当に恐ろしい経験でした。

2025.01.22

充電式か乾電池式かの話



最近の電気製品の電源は電池が充電式の場合が多いです。充電式の利点は、小型化、リサイクルなどでしょう。


しかし、充電式には、「充電に時間がかかる」「長時間放置すると使えなくなる」「電池がへたると本体買い替え」など、多数の短所があります。


さらに乾電池は、「コンビニでも百均でも買える」「世界の大概の地域で使える」など利点もあり、わたくしは、同じ製品なら、乾電池式を探します。


ただ、充電式しかない場合があり、そういうときは泣く泣く充電式を買わざるを得ないです。


充電式の場合、充電のタイムラグを埋めるため、最悪同じ製品を2個買わざるを得ないこともあります。

2025.01.21

中国語講座の話



これは去年の試験の後から不合格発表までの間の話です。この期間、ヒマだったので、NHKラジオの中国語講座を聞き逃しサービスで聴いていました。講座には、基礎と応用の2種類があり、どちらも既知の知識中心です。だからつまらないというわけでもなく、わたくしにとって、いろいろな示唆のある内容でした。


一つには基礎は大事ということ。どんな道も基礎を疎かにしていいわけがありません。一つ一つ大事に噛み締めていきました。


もう一つは、講師の先生や朗読役のネイティブの方々からの初学者への言葉が沁みる、ということです。特に劉セイラさんですね。彼女は、外国語学習界の大谷翔平選手とも言える不世出の人材です。そんな人から「努力すれば必ずできるようになります」みたいな言葉をかけられたら、気持ちがピシッとしないわけには参りません。


努力すれば、必ず大谷選手のようになれるわけではありません。劉セイラさんのようになるにも、類稀なる才能が前提として必要です。


でも、努力していきましょう。自分ができる範囲で一歩一歩進んで行きましょう。今は別の道で頑張っていますが、この姿勢だけは忘れたくないです。

2025.01.18

人類滅亡の話



なんか大袈裟な話なのですが、標題の話をします。


石原慎太郎さんがホーキング博士との質疑応答の中でちょうどこの話について聞かれたそうです。ホーキング博士のお答えは、「人類のような文明は100年くらいしかもたないだろう」と仰られたとのことです。


上記はうろ覚えです。しかも、なぜそうなるのかが語られていないので、判然としない話ですが、最近の流れを見ているとあながち的外れでもないのではと思わせる話です。


最近、寒い国の大国が弱い国を侵略しています。まるで19世紀の出来事のようにも思えるこの事態に世界は対応できていません。しかも、今は21世紀で当該大国は核兵器をたんまり持っています。さらに使うそぶりを見せていない訳ではなく、現に脅しとして使っています。幸い、当該大国の指導者にも最低限の理性があるようで、今のところ実際には使われておりません。


また、視点を別の大国に向けますとその超大国とも言われる国では、無茶苦茶なことを言うポピュリストが大統領に選ばれました。この人は、なんかの拍子で核兵器の発射ボタンを押しそうな雰囲気を持っています。


これらの現任の方々だけではなく、これらの方々の後継者まで範囲を広げて考えるとボタンが押される可能性はないとは絶対に言えないし、むしろ高まっているのでは?とすら思えるのです。


だからといって、核兵器を廃絶しろ、とは言いません。というか、それは理想でありますが、同時に実現不可能なことなのです。もし、そうなってしまっても、それは「歴史の必然」と諦めるしかないと思います。


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