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2022.05.30

『雑詩』ふたたび

かつて王維の『雑詩』について書いたことがありました。



それから、この詩について考えるに、いろいろ分からないことが出てきました。

自分にはまだこの詩について語る資格はないようです。

じゃあ、いつ語る資格がある状態になるかというと、今の自分の漢詩学習法では永遠に来ない気がします。

漢詩は奥が深い。まぁ、ぼちぼちやっていきます。

2022.04.11

『兵車行』について

最近、戦争のことなどもあり、杜甫の『兵車行』について考えてみました。


この詩は反戦詩です。反戦詩にもいろいろあって、現場の戦場の悲惨さを伝えるものもあります。しかし、この詩には悲惨な戦場の場面は出てきません。杜甫自身に従軍経験がないこともあり、悲惨さは主に杜甫自身が目撃した兵士を送り出す側の場面を描写することで表現されています。それでも充分貧しい人たちの塗炭の苦しみが伝わってきます。

そして面白いのが、最後のクライマックスです。「君不見」からはじまるこの部分ですが、よく考えてみると、杜甫自身も青海には行ったことがなく、見たこともない筈です。つまり、この部分は完全な「心象スケッチ」です。(幽霊が文句言ったり、泣いたりするところを見ること自体がアレなんですが)それを「君不見」と言っちゃうあたり、まぁこれは漢詩の慣用表現みたいなものというか、合いの手みたいなものなのですが、「誰も見たことないわ」とツッコミをいれたくなるのは自分だけでしょうか。

2022.04.04

漢詩で風刺

風刺という表現方法があります。

ただ、そういうのって、見ていてちょっと品がないというか、作者の品性を問われそうな内容であると思ってしまうこともあります。「人を笑わば穴ふたつ」なんで、正直こういう表現方法に賛同しがたい部分があることも否めません。

漢詩の中にも、風刺した作品があります。特に七言詩で作られた風刺の詩は、七言詩の醸し出す優雅さと相まって、とても美しく感じられます。これ、馬鹿にしているんじゃなく、褒めてるんじゃないかと思うこともあります。律詩書かせたら、ワケのわからないのしか作れない李商隠さんの絶句なんどを読ませていただいて、そう感じます。

2022.02.25

但の意味

但という漢字があります。

日本では「但し」という接続詞に使われることが多く、中国でも「但是」と書くと逆説の接続詞になります。

この度杜甫の『客至』という七言律詩を読んでいました。この詩の冒頭に、「舎南舎北皆春水但見群鴎日日来」とあり、今までは「但」という字を逆説の接続詞として読んでいましたが、どうもしっくり来ないことに気づきました。

そこで調べてみたら、「但」の字は、逆説の意味だけでなく、「ただ」という意味もある、というかどっちかというと、こっちの方がもともとの意味のようです。「但し」という書き方は多分当て字なんでしょう。

そして、そういう意味で捉えてみると、この詩の冒頭部もしっくり来ました。何か違和感があれば辞書にあたるということは学習の基本ですね。

2021.11.30

『横浜たそがれ』と七言絶句

『横浜たそがれ』という歌があります。

歌詞は書きませんが、名詞をぶつ切りに並べていくという形の詩が特徴的な歌です。(同じような歌として『北国の春』の冒頭部分が挙げられます)

この形式が実に漢詩的で七言絶句の味わいを彷彿とさせるものが同曲にはあります。

漢詩的の例を挙げますと『長恨歌』で二箇所ほど、この「名詞ぶつ切り」句を見ることができます。

調べてみたのですが、作詞者と漢詩の接点はあまりなく、偶然なのかも知れません。

2021.11.24

【漢詩】『何満子』と『母を尋ねて三千里』

『何満子』という五言絶句が『唐詩三百首』の中にあります。

故国三千里
深宮二十年
一声何満子
双涙落君前

以上が全文です。

この詩の冒頭を見て、『母を尋ねて三千里』というアニメを思い出しました。そして、すぐに「このアニメの原作の題名には『三千里』はないな」と直感しました。

このアニメの題名、あまりにも座りが良すぎます。七五調だし、「三千里」の平仄がぴったりくる。

調べてみると、原題は『アペニン山脈からアンデス山脈まで』というそうです。


日本語訳したのは、前田晃さんという方でこの方に漢文など古典文学に関する素養がおありになったのでしょう。


なんか「分かる人には分かる」みたいな、「以文会友」みたいな、時を超えて、前田晃さんと繋がったような感じがします。

2021.09.24

【漢詩】石魚湖上酔歌並序

七言詩については、いろいろ言ってきました。今回、新たな七言詩の形を見つけましたのでここにだらだらと書きます。

それが標題の詩です。この詩は古詩としては短い上に前半部分に六言という変則的な句を二つ持つ特殊な詩です。

それが故にか、この詩には独特のリズムが感じられます。それは端的に言うと「二拍子」です。余談になりますが、自分は二拍子と四拍子の曲の区別をつけるのが苦手です。実は三拍子と六拍子も区別がつきませんが、そっちはどうでもいいような気がするのです。が、二拍子と四拍子は天と地の違いがあるにも関わらず、違いをはっきり聞き分けられないのです。2と4が倍数の関係にあるせいで、小節の切れ目がはっきりしないのですね。

あだしことはさておきて、この詩ですが、和太鼓で合いの手を入れたくなるようなリズム感があります。前半の変則的部分もそうですが、後半の通常七言詩になっても同じリズム感です。こういうリズム感の詩って珍しいと思うのですが、他にもあるんですかね。留意しておきます。

2021.05.21

【漢詩】自河南経乱関内阻飢兄弟離散各在一処因望月有感聊書所懐寄上浮梁大兄于潜七兄烏江十五兄兼示符及下[圭β]弟妹

こういう題の詩です。律詩や絶句といった近体詩は内容が短いので、詠んだときの背景まで書ききれないということがよく生じます。でも、背景を入れたいというときは、序文を付けるか、こうやって題名にダラダラと書き連ねることになります。逆に背景を知られたくないときは「無題」などといった題名をつけることもあります。

だから、漢詩において題名というものはとても重要で、漢詩じゃなくても、題名をおろそかしている文章を見ると「なんだかなぁ」と思ってしまいます。

で、この詩ですが、七言詩です。内容は暗いです。これは、前に書いた「あまりにも暗すぎる曲を長調で作曲する」ような感じがします。そこで題名を見てみると「寄」の文字があります。つまり、この詩は各地のいとこたちに郵送したものなのですね。

手紙を受け取ったいとこたちからするとこの内容で五言詩だったとすれば落ち込んでしまうでしょう。でも、七言詩であれば救いを感じるんじゃないでしょうか。

そんなことも感じました。

2021.05.13

【漢詩】長幹行

この詩について、最も印象的だったことは、吉川英治先生の名作『三国志』に出てきたことです。「三国時代に李白という意外性」はさておき、今日は別の話です。

この詩で次に印象的なところは、「十四為君婦」から始まる部分です。導入部を過ぎて、ここからこの詩の構成が変わります。最初に「十四」「十五」「十六」と年齢が入り、その後「為君婦」「始展眉」「君遠行」が、それぞれ入り、この部分はその一節(その年)の標題のような役目を果たしています。

この中で一番すごいのは、「十五」の段です。

(①)十五始展眉(②)願同塵輿灰
(③)常存抱柱信(④)豈上望夫臺

①は上で述べた通り、この部分の標題のようなものです。②と③は、ほぼ同じような内容で意味的には、ここがセットになっています。

いつも言っている通り、漢詩の基本は二句で1セットです。ただ通常の1セットは、「上の句+下の句(韻)」のセットですが、ここでは韻を跨いでしまっています。ここに違和感が残ります。ここは、「十四」の段のように同じ意味の句を畳み掛けても問題はありません。が、李白の答は「豈上望夫臺」でした。


結果的にこの句が、クライマックスへの繋ぎとなり、さらに予告編の役割を果たします。

 李白が本当に描きたかったのは「十六」以降の情景であり、「十四」と「十五」は、ホップステップジャンプのホップとステップなのです。そして、「十六」に向けての思い切った踏切が「豈上望夫臺」なのです。

 いや〜、この詩いいなぁ。上手いよなあ。何回読んでもあきませんね。

2021.01.27

コケの話

京都などで日本式庭園に行くとコケをよく見ます。しっとりとしたコケの感じは日本庭園にうまく溶けこんでいい感じですね。

一方、中国で自分は結構あちこちの庭園を見させてもらったのですが、コケの印象は全くありません。そこで、このコケは、中国から伝わったものではなく、日本オリジナルなのか、と思っていました。とはいえ、自分のような人間が調べると言っても限界があり、唯一唐詩に出てくる表現をたどって、唐の時代にそういうものがあったかどうか調べることができるのみです。

わたくしがいつも学習している『唐詩三百首』(蘅塘退士/編)で言いますとコケが登場するのは、ざっと見た感じで以下の通りです。


①『宿王昌齢隠居』常建
②『晨詣超師院読禅経』柳宗元
③『長幹行』李白
④『鹿柴』王維

⑤『廬山謡寄廬侍御/示虚舟』李白


これはあくまで「ざっと見た感じ」ですので、今後見つけたら追加します。現時点で見つかっているのが5首ということで、全体の1%くらいでしょうか。そのうち、④と⑤は完全に自然界にあるコケを詠んだもので、③も微妙ですが、自然に生えたコケのことです。


今回の件で大事なのが①と②です。ここで詠まれたコケは、どちらも庭園のコケです。これらのコケが意図的に生やされたコケなのかはわかりませんが、お寺さんや王昌齢の別荘が管理不足でコケだらけになることは考えにくく、また、少なくともこれらのコケが「美」として表現されていることも考え合わせると唐代の中国でコケを意図的に庭園に生やさせることがあったと考えるのが妥当でしょう。

で、何がいいたいかと言うと何もないです。取り留めのない文章で「人をコケにする」ような話ですいません。

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