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2021.09.24

【漢詩】石魚湖上酔歌並序

七言詩については、いろいろ言ってきました。今回、新たな七言詩の形を見つけましたのでここにだらだらと書きます。

それが標題の詩です。この詩は古詩としては短い上に前半部分に六言という変則的な句を二つ持つ特殊な詩です。

それが故にか、この詩には独特のリズムが感じられます。それは端的に言うと「二拍子」です。余談になりますが、自分は二拍子と四拍子の曲の区別をつけるのが苦手です。実は三拍子と六拍子も区別がつきませんが、そっちはどうでもいいような気がするのです。が、二拍子と四拍子は天と地の違いがあるにも関わらず、違いをはっきり聞き分けられないのです。2と4が倍数の関係にあるせいで、小節の切れ目がはっきりしないのですね。

あだしことはさておきて、この詩ですが、和太鼓で合いの手を入れたくなるようなリズム感があります。前半の変則的部分もそうですが、後半の通常七言詩になっても同じリズム感です。こういうリズム感の詩って珍しいと思うのですが、他にもあるんですかね。留意しておきます。

2021.05.21

【漢詩】自河南経乱関内阻飢兄弟離散各在一処因望月有感聊書所懐寄上浮梁大兄于潜七兄烏江十五兄兼示符及下[圭β]弟妹

こういう題の詩です。律詩や絶句といった近体詩は内容が短いので、詠んだときの背景まで書ききれないということがよく生じます。でも、背景を入れたいというときは、序文を付けるか、こうやって題名にダラダラと書き連ねることになります。逆に背景を知られたくないときは「無題」などといった題名をつけることもあります。

だから、漢詩において題名というものはとても重要で、漢詩じゃなくても、題名をおろそかしている文章を見ると「なんだかなぁ」と思ってしまいます。

で、この詩ですが、七言詩です。内容は暗いです。これは、前に書いた「あまりにも暗すぎる曲を長調で作曲する」ような感じがします。そこで題名を見てみると「寄」の文字があります。つまり、この詩は各地のいとこたちに郵送したものなのですね。

手紙を受け取ったいとこたちからするとこの内容で五言詩だったとすれば落ち込んでしまうでしょう。でも、七言詩であれば救いを感じるんじゃないでしょうか。

そんなことも感じました。

2021.05.13

【漢詩】長幹行

この詩について、最も印象的だったことは、吉川英治先生の名作『三国志』に出てきたことです。「三国時代に李白という意外性」はさておき、今日は別の話です。

この詩で次に印象的なところは、「十四為君婦」から始まる部分です。導入部を過ぎて、ここからこの詩の構成が変わります。最初に「十四」「十五」「十六」と年齢が入り、その後「為君婦」「始展眉」「君遠行」が、それぞれ入り、この部分はその一節(その年)の標題のような役目を果たしています。

この中で一番すごいのは、「十五」の段です。

(①)十五始展眉(②)願同塵輿灰
(③)常存抱柱信(④)豈上望夫臺

①は上で述べた通り、この部分の標題のようなものです。②と③は、ほぼ同じような内容で意味的には、ここがセットになっています。

いつも言っている通り、漢詩の基本は二句で1セットです。ただ通常の1セットは、「上の句+下の句(韻)」のセットですが、ここでは韻を跨いでしまっています。ここに違和感が残ります。ここは、「十四」の段のように同じ意味の句を畳み掛けても問題はありません。が、李白の答は「豈上望夫臺」でした。


結果的にこの句が、クライマックスへの繋ぎとなり、さらに予告編の役割を果たします。

 李白が本当に描きたかったのは「十六」以降の情景であり、「十四」と「十五」は、ホップステップジャンプのホップとステップなのです。そして、「十六」に向けての思い切った踏切が「豈上望夫臺」なのです。

 いや〜、この詩いいなぁ。上手いよなあ。何回読んでもあきませんね。

2021.01.27

コケの話

京都などで日本式庭園に行くとコケをよく見ます。しっとりとしたコケの感じは日本庭園にうまく溶けこんでいい感じですね。

一方、中国で自分は結構あちこちの庭園を見させてもらったのですが、コケの印象は全くありません。そこで、このコケは、中国から伝わったものではなく、日本オリジナルなのか、と思っていました。とはいえ、自分のような人間が調べると言っても限界があり、唯一唐詩に出てくる表現をたどって、唐の時代にそういうものがあったかどうか調べることができるのみです。

わたくしがいつも学習している『唐詩三百首』(蘅塘退士/編)で言いますとコケが登場するのは、ざっと見た感じで以下の通りです。


①『宿王昌齢隠居』常建
②『晨詣超師院読禅経』柳宗元
③『長幹行』李白
④『鹿柴』王維

⑤『廬山謡寄廬侍御/示虚舟』李白


これはあくまで「ざっと見た感じ」ですので、今後見つけたら追加します。現時点で見つかっているのが5首ということで、全体の1%くらいでしょうか。そのうち、④と⑤は完全に自然界にあるコケを詠んだもので、③も微妙ですが、自然に生えたコケのことです。


今回の件で大事なのが①と②です。ここで詠まれたコケは、どちらも庭園のコケです。これらのコケが意図的に生やされたコケなのかはわかりませんが、お寺さんや王昌齢の別荘が管理不足でコケだらけになることは考えにくく、また、少なくともこれらのコケが「美」として表現されていることも考え合わせると唐代の中国でコケを意図的に庭園に生やさせることがあったと考えるのが妥当でしょう。

で、何がいいたいかと言うと何もないです。取り留めのない文章で「人をコケにする」ような話ですいません。

2020.07.14

兵車行とグッドナイトサイゴン

杜甫の古詩、兵車行を読んで「今ごろなこと」に気づきました。それは、七言詩の特徴です。それまでは、ここでも述べたとおり、七言詩には、「優雅さ」や「明るさ」と言った音楽でいうところの長調のような効果があるだけだと思っていました。ところが、この詩を改めて読んでわかったのは、七言詩には「高らかに歌い上げる」という効果もあるということです。

さて、この「高らかに歌い上げる」古詩、途中で五言に「変調」します。それは、「役夫」がヒソヒソ話で文句を言う場面。ここ、五言にして、すごく感じが出ていますね。

で、思い出したのが、グッドナイトサイゴンという名曲です。この歌も呑気な調子だったのが、途中で調子が少し変わって、夜の戦場について、触れられます。その後、また呑気な調子に戻るのですが、聴いている方は同じ気持ちでは聴けなくなる、という作りになっております。

話は戻ってまた兵車行。ヒソヒソ話が終わったら、また七言に戻って、さらに高らかに歌い上げます。そして、最後のクライマックスを迎える訳です。

2020.06.10

[シ徐]州西[シ間] 韋応物

独憐幽草[シ間]辺生、

上有黄[麗鳥]深樹鳴。

春潮帯雨晩来急、

野渡無人舟自横。

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 この詩の良さを一言で言うと、「七言なのにシブい」というところです。七言詩だから、優雅で上品な香りが漂っていますが、詩の基調はあくまで「シブい」水墨画の世界。

 もし、この詩を五言で作ったら、ジミーな暗いだけの詩になってしまうでしょう。というか、ほとんどの詩人は、こういう着想に対し、五言の詩を作るでしょう。

 しかし、作者の韋応物さんは、敢えて七言絶句でこの詩を作ったのです。その結果、春の日に蝶々が舞っているような優雅なメロディをBGMに幽玄な水墨画の世界を描き出すことに成功しています。しかも、どちらの良さも消さず、お互いがお互いを高めあう効果を発揮しています。

 あまりに暗くて救いようがない曲をわざと長調で作曲することがあると聞いたことがあります。

 この詩はそう言った逸話を思い出させます。

2020.06.09

雑詩

雑詩
王維
君自故郷来、
応知故郷事。
来日綺窓前、
寒梅著花未?

中国に住んでおりました頃、時々日本のことが気になったものです。「今日も西明石駅では定刻通りに新快速が発車しているんだろうなぁ」てな感じで。

そして、いざ彼の国を離れることとなりました折には、「日本に帰ると南海大道をブレーキをきしませながら204路線のバスが行き来することが気になるんだろうなぁ」とか思いました。

帰ってみると、実際はバスの運行よりも、歩道端で売っているライチやマンゴーの方が気になるのですが。

というわけで、大詩人であらせられる王維さんは、庭の梅の木を気にし(菅公も同じですね)、現代の底辺国民であるわたくしは、公共交通機関や果物などを気にするという話でした。

書いてみて思ったのは、この詩は故郷から来た知人に質問するという形式をとっていますが、実際に誰かが来たわけではなく、自分の心残りを表現するためにこういう形式をとったのではないかということです。