留学時代の自慢話(三国志系)
以下は留学時代の自慢話です。自慢話が嫌いな人は読まないでください。
わたくしは、留学時代、5つの学期を過ごしたわけですが、全部の学期で一番上のクラスにいました。その中で、二学期目の話です。
この学期が始まった頃は、優秀な学生が少なくふさわしいクラスを編成できなかったので、わたくしとあと2名の学生は、聴講生として本科生の授業を聴講していました。そのあたりでだいたい本科生とやらの実力がわかってくるのですが、それはとりあえず置いておきます。
わたくしは主に中国古典文学の授業を聴講していたのですが、あるクラスの先生が「討論会」形式の授業がとても好きで、3回に一回くらいはそういう授業をしていました。わたくしも聴講しながらみなさまのご意見を拝聴する機会に恵まれたのですが、そのほとんどがどっかの学者の本からコピペした内容で、本科生ってこの程度なのね、と思わざるをえない内容でした。
そんなある日のこと、その授業を聴講すると「今日は『三国演義』についての討論をします」と言うではないですか。実は結構サボっていたので、今回そういう流れになっていたことを知らなかったのですが、第一印象は「本科生の分際で、わしの前で『三国演義』を語ろうとは、なんとふてえ野郎どもだ」という不遜なものでした。
で、みなさまのご意見を拝聴いたしておりますと、やはりコピペが主流でした。どうせコピペするんだったら、優秀な先生の本をコピペすればいいのに、突っ込みどころ満載の内容を無批判に発表する同学もいらして、「なんだかなー」という流れになりました。
そこで聴講生と言う身分ながら先生とは面識があったこともあり、わたくしからも一言意見を発表させていただくことにしました。以下がその大意です。
今日のテーマは「『三国演義』の創作の特徴」という議題ですが、まず、『三国演義』という小説のテーマは何かというところから入らないと行けません。それは実に明らかで、「劉備が打ち立てた蜀王朝こそ正統王朝である」というものです。この小説において、このテーマは絶対であり、すべてがこれに基づいて存在するといっても過言ではありません。例えば、先ほどある方が「『三国演義』の登場人物はどんな事件を経験しても性格に変化がないので、ダメだダメだダメだ~」とおっしゃっておられたが、実は全てがそうではない。例えば、曹操は、劉備と敵対していない時代はある程度好人物として書かれているが、劉備と本格的に敵対するようになってからは野心家の逆賊イメージが濃厚になってくる。顕著な例としては、張飛が督郵を鞭打つシーンがあるが、あれは陳寿の『三国志』では劉備がやったこになっているが、作者は劉備のイメージを守るため、その行為を張飛がやったことにした。これこそが『三国演義』の創作の特徴を代表する例である。そもそも『三国演義』は「実七虚三」と言われ、「実」とは陳寿の『三国志』にある内容で、「虚」こそが『三国演義』の創作である。もし、『三国演義』の創作の特徴を論じようとするのであれば、何が「実」で何が「虚」であるかを知らなければならないだろう。つまり、陳寿の『三国志』を読まずして、これを語るのは非常に危ない行為である、、、、
と、ここまでまくし立てたところで、先生が「あなたは陳寿の『三国志』を読んだことがあるのですか?」と聞いて来ましたので、わたくしは「はい」と答えました。本当は面白く無いところは読んでないんですけど、「読んだ」「読まない」で言えば読んだことになるかな、ということでw
以上の発表の内容は、準備もしていなかったし、当時のわたくしの中国語レベルも低かったので、自分としては今ひとつ納得の行かない内容でした。そこで、『三国演義』に関するアレコレを適当に作文にして、先生に見せたところ、これが大変な騒ぎになったようです。ある先生は「これは素晴らしい論文です」とか言い出すし、留学生の仕事の責任者(この人はめったにお目にかかれないエライ人)も、「わたしは、中国の歴史に詳しいつもりだったが、この留学生の作文を読んではじめて『三国志』に裴松之という人が注をつけたということを知った」とか言い出すし、、、最終的には、この「作文」は留学生の文集のトップに載せられ、わたくしの文章だけにこのおじさんによる褒め言葉が書いてありました。おじさんはどうもわたくしが中国に来てからこういう知識を得たと思っていたようですが、実際は、全部日本にいた時に三国志マニアとして得た知識を記憶に頼って書いたものです。だから、上にある内容は全部誰かのパクリですし、日本の三国志マニアにとっては基礎中の基礎とも言える知識ばかりです。
以上が自慢話ですが、なぜこういう話を今頃書いたかといいますと、もしかしたら次に続きます。
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