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2016.01.31

海辺秋景

炎天涼已尽
盛夏転清秋
返影彫山谷
夕陽染海鴎
葉紅菌耳長
波静大蛸休
遥望雲帆遠
不知何処舟

2014.09.01

罷長旅帰郷

上国随縁十四年、

青雲難忘學成前。

回時作伴三妻子、

月出中秋三笠邊。

2014.06.22

十指齐双臂,
自欢美酒斟。
摸前能探象,
舒肘可求寻。
挥手游人意,
缝衣慈母针。
拂弦公瑾顾,
岂谓有知音。


2013.02.24

憶故郷春


桜花有艶迷人雪
淡島含煙化雨風
燕子帰来巣似旧
遥看三笠月朦朧

2010.08.04

次韻杜牧遣懐

●○○●●○◎
志高猶似少年行

●●○○●●◎
自負孤雲万丈軽

●●○○○●●
及長逢春花爛漫

○○●●●○◎
羞慚不敢叫其名

2010.01.24

今週の自作漢詩100124

次韻杜牧泊秦淮

吾郷海水異郷沙
一載新春只到家
少子才明飛飄雪
多年未見散桜花

今週はインターネット接続状況が致命的に悪く、ウエイト時間が多かったので、ウエイト時間を使って作ってみました。次韻にしたのは、韻を考えるのが面倒だからw。正直言って、以前使っていたPDAが故障のため使えなくなって、韻をいつでも参照できる環境が無くなってから漢詩を書かなくなった訳ですし、今後もこういう形で習作を作っていきたいですね。

2009.01.29

華山長空桟道

高峰山径尽、桟道掛長空。

石落千尋下、雲遊万変中。

懸崖牽鉄鎖、絶he4渡凄風。

客子行程険、曽無羽化功。

(2001年~2002年くらいの作と思われ)

夏天赴長安留学

長亭相把酒、告別一蝉鳴。

作客郷山碧、乗鴻積水平。

前途何処遠、後果此身成。

勿問回来事、洋洋万里程。

(2000年8月ごろの作)

答友人贈好酒

開封一口五糧和、馥気盈身興趣多。

対月挙杯如太白、臨江lei4酒似東po1。

年々yun4醸芳香熟、万古詩詞蓄意磨。

今余浅学唯能飲、昔日文人果若何?

(20世紀末ごろの作)

2007.05.05

試験に出ない漢詩の読み方(1)

 昔同様の文章をHPにのっけていましたが、すでに閉鎖されているため、もう一度書きます。

 漢詩というのは、一般の方にとってはよくわかりにくいものだと思われているようです。まあ、もともとが外国の古典文である漢文でできているポエムで、「韻」「平仄」などの難しいルールがある……昔、漢文を自在に読める人(中国歴史専攻の方)から、「漢詩は難しい」といわれたことがあります。しかし、わたくしから言わせるとその方が毎日読まれている史書のほうが、固有名詞はバンバン出てくるわ、書き方が簡素すぎるわ、で「読もう」という気すら起こさせないくらい難解です。

 漢詩も漢文の一種ですが、所詮は定型文です。フリースタイルの「古詩」においても、一定の型を持っています。特によく目にする「絶句」「律詩」といった「近体詩」は、型で縛られまくっているガチガチの定型詩です。もちろん、その型(ルール)には、非常に難解なものもありますが、一般人でも一目で瞭然というものもあります。

 以下「近体詩」の「一目瞭然」ルールについて説明します。

 春眠 不覚暁、

 処処 聞啼鳥。

 夜来 風雨声、

 花落 知多少。

 上記は、超有名な五言絶句『春暁』の全文です。表記するに当たって理解しやすくなるように若干の「加工」をほどこしております。まず、言えるのが句ごとで改行しています。本来漢文というものは、基本的に「改行」「句読点」なるものが存在しないものです。

ですので、この詩を正しく表記すると以下のようになります。

春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少

 これは冗談ではなく、今でも本当に書道作品などではこのように書くのが正しい書き方なのです。ただ、このように書いてしまうと一部のマニア以外には理解しにくくなるので、今では、上記のように句ごとに改行するのが普通になっております。

 先ほど「本来漢文というものは、基本的に「改行」「句読点」なるものが存在しない」と書きましたが、上記「加工済み春暁」には句読点が存在します。これは、中国における表記法に倣ったもので、句を意味合いごとでセットに分け、セットの最後には「。」、それ以外の句の末尾には「、」を打つ、という決まりに従ったものです。

 それに基づいて、上記「加工済み春暁」を見ますと、一句目の末尾に「、」、二句目の末尾に「。」があることがわかります。つまり、この句読点を打った人(わたくしですがw)は、一句目と二句目がひとつのセットとみなしているのです。同じように三句目と四句目もひとつのセットとして捕らえられているのがわかります。

 これは、別にわたくしが内容を深く吟味してこのように句読点を打ったのではなく、単に中国の習慣に沿って句読点を打ったに過ぎません。中国で見る句読点による区切りは、たいていが二句で一区切りになっており、たまに三句で一区切りになっているものも見ますが、「絶句」「律詩」などの「近体詩」では、確実に二句が区切りの単位になっています。

 わかりにくい言い方になってしまいましたが、「漢詩は普通二句で一区切り」ということが言いたいのです。漢詩を見たときは、まず二句づつの区切りに分けて考えましょう。特に絶句の場合は、4句しかありませんから、二句ずつ、つまり「前半」と「後半」に別れると考えたほうがわかりやすくなります。国語の時間で「起承転結」と習ったと思いますが、そうやって独立して句を捕らえるより、二句のグループに分けて考えたほうが圧倒的にわかりやすくなります。

 この「二句で一区切り」という考え方は、漢詩の基本と言えると思います。この考え方を発展させると、「対句」という漢詩の美しい表現方法になりますが、ここではおいておきます。

 長くなりましたので今日はこの辺できります。ちなみに「三句で一区切り」になる漢詩(あるいはその一部分)も例外的に存在しますが、少なくとも「絶句」「律詩」ではそのような例はありえません。

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